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青砥 武平治

記事ID:0034663 更新日:2018年4月1日更新 印刷ページ表示

青砥 武平治 (あおと ぶへいじ)

世界で初めてサケの自然ふ化増殖に取り組んだ男

自然科学的発想が生み出した200年前の鮭増殖システム

青砥武平治像鮭が生まれた川に帰るということは良く知られていますが、この「回帰性」に着目したのが、一人の村上藩士でした。

彼の名は『青砥 武平治』。
三両二人扶持の小身から70石の士分にまで昇進した、才気あふれる人でした。

彼は増殖などだれも思いもおよばなかった今から約250年前、鮭の自然ふ化増殖システム「種川の制」を考案しました。 これは、三面川を本流とするバイパスをつくり、産卵を促してふ化を助けるというもの。 鮭の回帰性を生かした、自然科学に基づく画期的な仕組みです。

残念なことに、彼個人についての詳しい史料は残っていませんが、武平治は時代に先駆けたアイデアで、村上の鮭文化の礎を築いた人物といえるでしょう。

村上の鮭、鮭の村上今に息づく伝統と誇り

昔の鮭漁の様子(資料提供 イヨボヤ会館)その後村上では、明治11年アメリカのふ化技術を取り入れた日本初の人工ふ化に成功。減少していた鮭の遡上数も、明治17年に73万7千尾を記録するまでに増えました。

郷土を愛し、鮭を愛した武平治の志は『母なる川・三面川』の精として後世に伝えられ、村上は鮭漁、人工ふ化から加工、料理と鮭のすべてにわたり、常に日本をリードしてきたのです。

青砥武平治や種川についての情報

青砥武平治や種川についてもっと知りたい方は、ぜひ日本最初の鮭の博物館「イヨボヤ会館」へお越しください。

イヨボヤ会館のホームページ