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村上大祭の屋台の紹介と法被

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年4月1日更新

村上大祭に曳きだされる山車のことを村上では「おしゃぎり」といいます。
呼び名の由来は、歌舞伎や狂言で、鉦や太鼓で演奏される音曲やお囃子のことを「しゃぎり」というところから来ているものとも言われています。

寛永十年の羽黒神社の遷座祭に大八車に太鼓を積んで…ということがはじまりでしたが、その後、この羽黒神社の遷座祭(神幸祭)には、各町内で花車や仕組屋台、大名行列など様々な趣向をこらしたことが記録に残っています。

その後、次第に彫刻や塗りを施した屋台が現れ、享保年間には、ほぼ現在のような堆朱堆黒などの塗りを施した豪華な屋台となっていきました。

久保多町 / 大町 / 寺町 / 大工町 / 小町 / 塩町 / 上町 / 細工町 / 安良町 / 小国町 / 鍛冶町 / 肴町 / 長井町 / 羽黒町 / 庄内町 / 片町 / 上片町 / 加賀町 / 泉町

久保多町(くぼたまち)

久保多町の屋台

久保多町の法被

久保多町の屋台は、文化九年(1812)に造られたもので、乗せ物は「住吉の景」、大阪の住吉大社の景色を、鳥居、太鼓橋、松で表しています。

屋台は後方に楽屋のある「お囃子屋台」で、楽屋衆の笛と三味線の調べにあわせて、鉦・鼓・太鼓をたたく乗り子が水色の裃をつけてはやします。

祭り本番の七月七日、夜も明けない頃、夜のしじまに響く笛と三味線の音色は、村上祭りの幕開けを告げるにふさわしい荘重な調べを奏でます。

大町(おおまち)

大町の屋台

大町の法被

大町の屋台は、明治五年の大火で焼失後、焼け残った部材を活かし再建され、昭和九年に新たに彫りと塗りが施されました。

乗せ物は「諫鼓に鶏」です。諫鼓とは昔の中国で、君主に諫言したいものに打たせた太鼓のことで、平和の象徴とされています。

江戸時代初期、大町の人が、羽黒神社を現在地に移したときのお祝いにお城から大八車を借用して、太鼓を乗せて城内を曳き廻したのが村上祭りのはじめと伝えられています。

寺町(てらまち)

寺町の屋台

寺町の法被

寺町の屋台は、寛政元年(1789) に造られたものです。

乗せ物は、昔の中国の道士「費長房」ですが、曽我兄弟の仇討を題材とした曽我物語に登場する「鶴に乗った仙人」としてなじみがあります。

屋台を飾る彫り物は、高欄の部分の彫り物には、かぶにねずみ、竹に虎、波に兎、欄干の龍など十二支にちなんだものが配され、上がり段の浪彫り、前庇の槌の水車など、その当時における村上城下の名のある工匠の作と伝えられます。

大工町(だいくまち)

大工町の屋台

大工町の法被

大工町の屋台は、寛政八年(1796)に造られたものです。

町名の示す通り昔は大工さんが大勢住んでいた町で屋台の構造や技法に、職人の技がしのばれます。

特に、小人数でも曳き廻しができるように、軽量化の工夫が施されています。乗せ物は、祝儀の席でもよくうたわれる謡曲の「高砂」からとったもので、尉(翁)は「稲垣源八」、姥は「稲垣政五郎」の作と伝えられています。

小町(こまち)

小町の屋台

小町の法被

小町の屋台は明治五年(1872)の小町火事で屋台を焼失後、焼け残った部材を活かし逐次再建されたものです。

乗せ物は、七福神の一神「大黒天」で、三宝(仏・法・僧)を守り飲食を恵む神とされています。日本では、この大黒天と大国主命とが習合され、福袋と打出の小槌を持ち米俵を踏まえるという純和風の姿が一般化しました。

江戸時代になると商家では福の神として、農家では田の神として広く庶民の信仰の対象となりました。

塩町(しおまち)

塩町の屋台

大町の法被

塩町の屋台は、安永元年(1772)に造られたもので、現存する村上の屋台の中では二番目に古いものです。

乗せ物は、「猩々」で中国の伝説上の生き物です。日本では能楽の曲名として有名で、親孝行な息子の素直な心を賞して、汲めど尽きない酒の泉を与え、舞を舞うというのが謡曲の筋です。

乗せ物は、この猩々の舞う姿を模したものです。また鮮やかな赤を緋色ともいい、中でも特に「猩々緋」という場合もあります。

上町(かんまち)

上町の屋台

上町の屋台

上町の屋台は、嘉永三年(1850)に造られたものです。当時町内に住んでいた村上の名工「有磯周斉」が中心となって造られたもので、その彫刻は近世村上彫刻の粋を集めたものといえます。

乗せ物は「梵鐘」で、「寛永十年六月吉日」「羽黒大権現」という銘があります。

この寛永十年(1633)は、羽黒神社を臥牛山の麓から現在地に遷宮した年であり、村上大祭の起源となる年でもあります。

細工町(さいくまち)

細工町

細工町の法被

細工町の屋台は、大正十三年に前の屋台と同じ形式で造りかえられたもので、簡素な能舞台を原型にしたものです。

乗せ物も能楽の一つ「三番叟(さんばそう)」です。叟とは老人の意味で、能楽の祝言曲の式三番で、第一に千歳が舞い、第二に翁が舞った後、三番目に老人が黒い能面をつけて舞うことから、三番叟といわれるものです。

おはやしの調子は三下り(さんさがり)です。

安良町(あらまち)

安良町の屋台

安良町の法被

安良町の屋台は、安政三年(1856)に再建されたものです。乗せ物は、松の木一本で住吉の景を表わしています。

屋台後方の見送りは、「竜虎」がいがみ合っているところを題材に彫刻したもので、稲垣又八の作です。また屋台各部の彫刻は山脇三作の作で、ともに当時の名の有る人の彫ったものです。

おはやしは、二上がりの「楽くずし祇園ばやし」です。

小国町(おぐにまち)

小国町

小国町の法被

小国町の屋台は、安永三年(1774)に造られたもので、村上の屋台では三番目に古いものです。

乗せ物は孟宗で、京都で造られたものです。孟宗は、中国二十四孝の一人で、真冬に筍が食べたいという母のために、雪の降る中を筍を取りに出て母親に供したといいます。

屋台後方の見送りの衝立は、「桐に鳳凰」が金糸の刺繍で施されたもので、この下絵は尾形光琳の作と伝えられています。

鍛冶町(かじまち)

鍛冶町の屋台

鍛冶町の法被

鍛冶町の屋台は、寛政四年(1792)に造られたもので、お囃子屋台の中では塗りの施されたものとなっています。

乗せ物は「二見浦の景」で、三重県伊勢海岸の景勝地二見が浦の夫婦岩を配し、見送りと高欄には立浪の彫刻が施されています。

おはやしは、行きの曲は、早朝漁のため港を出る船の情景を表し、帰りの曲は、豊漁の喜びにわき港に帰る船の情景を表しています。鍛冶町のおはやしは市の無形文化財に指定されています。

肴町(さかなまち)

肴町の屋台

肴町の法被

肴町の屋台は宝暦十年(1760)に造られたもので、現存する村上屋台の中では最も古いものです。

乗せ物は鯛に乗った恵比寿様で、殿様から肴商いを許された町にふさわしいもので、屋台と同じ年に京都で造られました。屋台後方の見送りをはじめ彫刻は「宝尽くし」で彩られたもので、祭りにかけた町衆の心意気を感じさせる屋台のひとつでもあります。

屋台一階の天井の絵は、桐に鳳凰が彩色されたもので年代を感じさせます。

長井町(ながいまち)

長井町の屋台

長井町の法被

長井町の屋台は、古い屋台の部材を利用して、明治初年に再建されたものです。

乗せ物は前の屋台から引き継いだ布袋様で、京都で造られました。布袋様は、中国の禅僧「布袋和尚」を起源として、江戸時代には七福神の一つに数えられるようになりました。

長井町の布袋様は、村上の屋台の乗せ物の中では、唯一のカラクリ人形で、顔を左右に振ったり、舌を出す様子などに愛嬌があります。

羽黒町(はぐろまち)

羽黒町の屋台

羽黒町の法被

羽黒町の屋台は、村上では六十四年ぶりで新造された屋台で、それまでのにわか屋台から姿を一新しました。この屋台の製作には地元の職人があたり、伝統技術と現代感覚とが調和した屋台となっています。

乗せ物は羽黒神社に奉納されている「大天狗の面」をモデルとして、羽黒神社の巌上から市民の平安息災を見守っている姿です。

見送りも同神社に奉納されている烏天狗面をモデルとしたものです。

庄内町(しょうないまち)

庄内町の屋台

庄内町の法被

庄内町は、シャギリ屋台です。

乗せ物は、「瓢鮎図」(ひょうねんず)。平成14年に新調されたもので、一般的には瓢箪鯰(ひょうたんなまず)として地震の鎮圧で広く知られる題材であるが、「不可能に可能を探る」という意味があり、人生の困難を切り開こうとする姿が表現されています。

平成7年に仁輪加屋台を再建。平成11年にはシャギリ屋台に改装されました。

片町(かたまち)

片町の屋台

片町の法被

片町の屋台は昭和八年に造られたもので、おしゃぎり屋台の形式でありながら、楽はおはやし調子で、乗り子も裃やユカタではなく、ハッピとはちまき姿としているところが特徴的な屋台です。

乗せ物は、舞楽の蘭陵王(らんりょうおう)、屋台後方の見送りは、壮大な唐獅子で、当時の帝展無鑑査の美術作家、初代小野為郎と山脇敏男の合作によるものです。

上片町(かみかたまち)

上片町の屋台

上片町の法被

上片町の屋台は、昭和八年に造られたものです。乗せ物は神代を象徴する岩戸神楽の「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」で、山脇敏男の作です。

しゃぎりばやしは、岩船町より取り入れられ、乗り子は水色の帷子と黄色の裃を着て、大太鼓、小太鼓、摺り鉦、そして笛の音で荘重の中に優美な調子を奏でます。

平成十二年、屋台後方の見送りが新調され、上片町の屋台に新たな一ぺージが加えられました。

加賀町(かがまち)

加賀町の屋台

加賀町の法被

加賀町の屋台は、昭和六十三年に造り替えられたものです。乗せ物は日本の童話「舌きり雀」でなじみのある、良いおじいさんが宝の入った葛篭を担いでいる姿です。

加賀町屋台のような、二輪加(にわか)屋台の特徴は、お囃子屋台の荘重さ、しゃぎり屋台の豪華さとは趣きを異にした、笛と太鼓とが織り成す軽やかなリズム、それに合せた屋台の軽快な動きにあります。

いかにも祭りを楽しむという言葉があてはまるようです。

泉町(いずみまち)

泉町

泉町の法被

泉町の屋台は、平成四年に造り替えられたもので、乗せ物は「二宮金次郎」です。

この屋台も、笛と太鼓の軽やかな調子と軽快な動きをする仁輪加屋台ですが、見所のひとつに「見送りの松」があります。この見送りの松は三段になっており、取付のとき非常に苦労します。しかしその分、仕上がりはきれいになり、見応えのある見送りとなります。

また、屋台二階四角に長堤燈を配置しているのも仁輪加屋台としては特徴的です。