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村上大祭の由来

記事ID:0034662 更新日:2018年4月1日更新 印刷ページ表示

村上大祭は、寛永10年(1633年)6月7日、時の村上藩主が神社(西奈彌羽黒神社)を上(城)から見下ろすのは畏れ多いとして、臥牛山の中腹から現在の場所へ遷座されたことを記念して行われています。

羽黒神社の遷宮をお祝いして、大町の人たちが大八車に太鼓を積んで町じゅうを練り回したのが、村上大祭の始まりと伝えられています。江戸時代には旧暦の6月6日・7日に行われていましたが、明治以降は新暦の7月6日・7日となり、現在に続いています。

祭の行列は、先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎・社名旗・四神旗・五色旗・神職・神輿三基・神馬・各町しゃぎり19台と続く行列を構成していました。荒馬14騎は、戦国時代の村上城主本庄繁長が、庄内での戦いで勝利をおさめ凱旋したときの様子を模したもので、このとき羽黒三社権現の分霊を勧請し、はじめ庄内町に神社を建立したことに由来しています。

オシャギリ祭りの行列