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大須戸能定期能の動画を配信しています

記事ID:0026910 更新日:2022年4月28日更新 印刷ページ表示

令和4年度開催 大須戸能定期能の動画を配信しています

令和4年4月3日(日曜日)に開催した大須戸能定期能は、新型コロナウイルス感染症対策のため、来場者を大須戸区民に限定して開催しました。このため、今回観覧できなかった方のために当日の様子を動画撮影しましたので、ぜひご覧ください。

※各映像はカメラの不具合により多少の乱れが生じています。ご了承ください。

大須戸能

大須戸能は山形県鶴岡市の黒川能の流れを汲み、江戸時代後期から大須戸集落に伝承されてきた民俗芸能で、謡(うたい)、舞、着付などは中央の流派とは異なるところがみられます。昭和30年にはその希少性と熱心な取り組みが認められ、新潟県文化財(無形民俗)に指定されました。毎年4月3日には大須戸八坂神社能舞台で定期能が奉納されます。

能「弓八幡(ゆみやわた)」

後宇陀院の臣下が男山八幡宮の神事に参詣せよとの宣旨を蒙り、八幡山に至ります。そこで参詣人の中に錦の袋に弓を入れた一人の老翁がいたので、どこから来た者かと訊ねると、自分は永年当社に仕えていた者だが、桑の弓を我が君に獻(ささ)げようと思って貴方の参詣を待っていたのだと答えます。更に弓矢で天下を治めた謂れを尋ねると、老翁は八幡宮の由来などを語ったのち、実は八幡宮の神託を伝えるために現れた高良の神であると言って消えていきます。その後臣下が帰ろうとすると、高良の神がその姿を現し、舞を舞って八幡宮の神徳を讃えます。武力は天下を平和に治める為のもので、争うべき為のものではない事を主張した曲です。​
能「弓八幡」
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狂言「膏薬練(こうやくねり)」

鎌倉の膏薬煉と都の膏薬煉とが道で出合い、互いに自慢し合います。鎌倉方の者は走り去る馬を吸い寄せて馬吸膏薬と云い、都方の者は大石を吸い寄せて石吸膏薬だと云い、それぞれの薬種を明かした後、膏薬を鼻に付けて吸い比べます。​
狂言「膏薬煉」
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能「箙(えびら)」

西国から都へ向かう旅の僧が、摂津の生田川のほとりで見事な梅に目をとめます。里人に問うと、源平合戦の折に梶原景季がこの梅を箙に挿して戦ったという箙の梅のいわれ、景季の武勲、源平両軍の陣形などを詳しく語り、自分は景季の幽霊だと告げて梅の木陰に消えていきます。その後、武将姿の景季が現れ、昔日の奮戦ぶりを再現したのち、旅の僧に回向を乞うて消えていきます。​
能「箙」
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能「小鍛冶(こかぢ)」

不思議な夢想を受けた一條院は、橘道成を勅使として三條の小鍛冶宗近に御剣を打つべしと命じます。宗近は御剣を打ち奉るためには自分に劣らぬ程の者が相槌に必要であると考えるものの、適当な者がいないので、この上は神仏に頼むより外はないと考え、氏神である稲荷明神に祈願のため参詣します。すると一人の童子が現れて、君の御恵みによって御剣は必ず成就するであろうと安心させ、力を添えようと言って稲荷山の方へと消えていきます。そこで、宗近は帰宅して壇に上り、壇の四方に祀った本尊に祝詞を捧げると、稲荷明神が現れて相槌を打ち、打ち上げた剣を勅使に捧げ、再び稲荷山に帰ります。​
能「小鍛冶」
能「小鍛冶」の動画はこちらをクリック

パンフレットのダウンロードはこちらをクリック
         →  R4定期能パンフレット [PDFファイル/243KB]

過去の動画

大須戸能の歴史

大須戸能は、江戸時代後期から大須戸集落の住民の間で伝承された能狂言である。山形県東田川郡櫛引町(現在の山形県鶴岡市)黒川の黒川能の系統を引くものであり、現在は4月3日に八坂神社で行われる春の例祭で神社の能舞台で演じられるほか、8月15日には薪能(たきぎのう)としても公開されています。昭和30年には新潟県の無形文化財に指定されました。

その起源は、弘化元年(1844年)の冬、庄内の黒川能役者蛸井甚助(たこいじんすけ)が当地に逗留した際に庄屋や神主など村人に対し、式三番や黒川能の下座伝承曲15曲を教えたことに始まると伝えられ、嘉永4年(1851年)以降は鎮守八坂神社の社殿での演能記録も残っており、少なくとも150年以上の伝承が確認できます。

また嘉永5年(1852年)の古文書には「古来の能装束が切損し役に立たなくなったので奉納を願う」旨の記述があることから推して、黒川能が伝わる以前にも何らかの形で大須戸において能が行われていたとも考えられているが、現在の伝承は黒川能伝来以後のものしか確認されていません。

大須戸能の特色としては、一語一語にナビキがつく謡や笛方がほかの囃子方に対して直角の位置につくなど黒川能の形態と共通する部分が多いが、黒川能が頭屋の座敷や春日神社拝殿内という屋内で行われるのに対して、大須戸能は当初から能舞台での演能で伝承されているため、謡・囃子・所作ともに黒川能より大きめです。

八坂神社の境内には、蛸井甚助が帰郷する際、記念に残したといわれる「黒川や上に流れて花の郷」なる句碑があります。

大須戸能は、代々受け継がれる農村の伝統芸能です。

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