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天守跡

記事ID:0073889 更新日:2023年3月25日更新 印刷ページ表示

天守跡(てんしゅあと)

 村上城跡の本丸には、かつて三層の天守櫓が存在していました。慶安2年(1649)に播磨姫路から移り、村上藩主となった松平直矩(まつだいら なおのり)によって寛文元年~5年(1661~1665)頃に大きく改変されました。特に本丸は地形を三尺(約90cm)ほど下げ、天守櫓を始め山上山下合わせて21の櫓が造り替えられたといいます。

 しかし、天守櫓は、寛文7年(1667)に落雷火災により焼失し、その後は再建されることはありませんでした。

 現在は礎石と石垣のみ残っており、一部に焼失した時の痕跡(被熱痕)を見ることができます。

村上城天守の礎石

礎石(そせき)

中心のくぼみは柱が置かれた痕

正保の絵図 

 天守拡大写真

【上】正保城絵図(国立公文書館蔵)  【下】拡大した三層天守櫓