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山元遺跡の遺構と出土遺物
環濠
山元遺跡の濠は規模が小さく、所々で濠が途切れており、防御としては厳重ではありません。ただし、特に西側の濠は斜面が急になる「地形変換点」に作られているため、いったん入ってしまうと出づらい構造になっています。また、場所によっては二~三条に重なっています。
建物跡
左:竪穴建物(南から)、右:同(東から)
山元遺跡からは二種類の建物が見つかっています。一つは地面を掘って上屋を立てる半地下式の竪穴建物です。斜面にとても近い場所にあり、すぐ西側には濠がめぐっています。斜面側の半分は残念ながらなくなっていましたが、人が踏みしめたため硬くなった床面や火をたいた炉の跡がありました。
もう一つは地面に穴を掘り柱を埋め込んだ掘立柱建物です。丘陵の西端で見つかりました。
墓域
墓域西調査区
墓域は谷の北側にあり、居住域とわかれていました。また、居住域と違い、濠はありません。墓域の中心部は墓域の最高点に位置する北西部です。
土坑墓
左:SK1、右:1号土坑墓
穴を掘って遺体を埋める「土坑墓」とよばれるお墓です。SK1からは68点のガラス小玉が写真の左側からまとまって出土していることから、身に着けて埋葬された可能性が高いと考えられます。
1号土坑墓は底の近くから副葬品と思われる石の矢じり5点が見つかりました。他にお墓の上のほうからは割れたガラス小玉や青銅器、石のかけらがまとまって出てきました。5号土坑墓でもお墓の上のほうから管玉が故意に割られた状態で出土しています。このような壊れたモノをまくという埋葬方法は山元遺跡より前の時代からの伝統か、あるいは、北の続縄文文化の影響と考えられます。
埋設土器
左:埋設土器A、右:埋設土器B
穴を掘って土器を埋める「埋設土器」というお墓で、「埋甕」、「土器棺」ともよばれます。
埋設土器Aは壺形土器が口を下にして、逆さまの状態で置かれていました。埋設土器Bは口を上にした状態で見つかりました。底部からは鉄剣が出土しています。
左~中央:埋設土器C(調査時)、出土した石鏃、右:埋設土器Cを復元したようす(小川忠博氏撮影)
上の写真は埋設土器Cです。壺形土器の内外からたくさんの土器片が見つかりました。出土位置を詳しく調べたところ、右の写真のように、壺形土器の上に小型の甕がふたのように伏せられていたと想定できました。
出土遺物
ガラス小玉
SK1から出土しました。分析の結果、カリガラスという種類を原料としていました。カリガラスには淡青色と青紺色のものがあり、山元遺跡のような淡青色のものは畿内で作られたと考えられています。
筒形銅製品
1号土坑墓の近くで見つかった青銅器です。槍の石突(いしづき)、または特殊な杖の頭部につけられた威信具(いしんぐ)と考えられます。現在のところ全国で10例あり、主に東海・南関東に分布しています。