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令和5年 大須戸能 定期能

記事ID:0026908 更新日:2023年3月15日更新 印刷ページ表示

令和5年度 大須戸能 定期能

番組が決定しました(変更する場合もあります)

  • 能「張良」
  • 能「高砂」
  • 狂言「狐塚」

能:箙(えびら)の様子
【写真:昨年(令和4年4月3日)の様子】 能:箙(えびら)

パンフレットのダウンロードはこちらをクリック
     ↠ R5定期能パンフレット [PDFファイル/230KB]

とき

令和5年4月3日(月曜日) 開演:午後1時

ところ

八坂神社(村上市大須戸地内)  ※雨天決行

その他

申し込みは不要で参観は自由です。

過去の定期能動画

大須戸能の歴史

大須戸能は、江戸時代後期から大須戸集落の住民の間で伝承された能狂言である。山形県東田川郡櫛引町(現在の山形県鶴岡市)黒川の黒川能の系統を引くものであり、現在は4月3日に八坂神社で行われる春の例祭で神社の能舞台で演じられるほか、8月15日には薪能(たきぎのう)としても公開されています。昭和30年には新潟県の無形文化財に指定されました。

その起源は、弘化元年(1844年)の冬、庄内の黒川能役者蛸井甚助(たこいじんすけ)が当地に逗留した際に庄屋や神主など村人に対し、式三番や黒川能の下座伝承曲15曲を教えたことに始まると伝えられ、嘉永4年(1851年)以降は鎮守八坂神社の社殿での演能記録も残っており、少なくとも150年以上の伝承が確認できます。

また嘉永5年(1852年)の古文書には「古来の能装束が切損し役に立たなくなったので奉納を願う」旨の記述があることから推して、黒川能が伝わる以前にも何らかの形で大須戸において能が行われていたとも考えられているが、現在の伝承は黒川能伝来以後のものしか確認されていません。

大須戸能の特色としては、一語一語にナビキがつく謡や笛方がほかの囃子方に対して直角の位置につくなど黒川能の形態と共通する部分が多いが、黒川能が頭屋の座敷や春日神社拝殿内という屋内で行われるのに対して、大須戸能は当初から能舞台での演能で伝承されているため、謡・囃子・所作ともに黒川能より大きめです。

八坂神社の境内には、蛸井甚助が帰郷する際、記念に残したといわれる「黒川や上に流れて花の郷」なる句碑があります。

大須戸能は、代々受け継がれる農村の伝統芸能です。

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