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村上城下の門跡その1
村上城下町の成り立ち
※以下の図は、村上市教育委員会「史跡村上城跡保存活用計画」令和3年(2021)から引用
■慶長2年(1597)につくられた「越後国瀬波郡絵図」には村上城が描かれており、その西側山麓には冠木門が設けられた木柵列に囲まれ、整然と配置された家々が見られます(村上町)。この頃は、これまで城主であった本城繁長に代わり、上杉家家老直江兼続の弟である大国実頼の代官春日元忠が村上の地に赴任していました。
「越後国瀬波郡絵図(米沢市上杉博物館所蔵)」(部分を一部改変)
に描かれる村上城(村上ようがい)と村上城下
■その後、村上城には、村上家・堀家・本多家・松平家(越前)・榊原家・本多家・松平家(大河内)・間部家・内藤家と9家が入れ替わりました。江戸時代前半にあたる越前松平家や榊原家の治世には村上藩の石高が15万石と最大になり、それに比例し城下の規模も拡大します。
村上城下の変遷図