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御鐘門跡
御鐘門跡(おかねもんあと)
概要
御鐘門は、村上城の二の丸に位置し、左折れの桝形(ますがた)を有しており、享保2年(1717)の間部家絵図(まなべけえず)には、渡櫓(わたりやぐら)が南北の多聞櫓(たもんやぐら)を結ぶ櫓門として描かれています。その奥には鐘丸櫓(かねまるやぐら)と城下に時を告げる釣り鐘が描かれており、その名の由来となっているものと思われます。
御鐘門は、築城初期の絵図では確認できないことから、松平直矩(まつだいらなおのり)[在城1649~1667]による寛文(かんぶん)期頃の増築と思われます。北側の多聞跡の石垣には昭和57年の修復記録がありますが、南側の多聞跡の石垣は初期に近い状態で残っているものと思われます。
鐘丸櫓は享保3年(1718)に落雷火災により焼失してしまいます。

御鐘門平面図(推定)

御鐘門立面図(推定)

享保2年間部家絵図(部分)描かれた御鐘門
[新潟県新発田市立歴史図書館蔵]

